『膚(はだえ)の下』と言えば、〈火星三部作〉の掉尾にして始まりを語る大作で、SFマガジンの連載の頃から、早くまとめて読めんかと思ってた。
しかし、単行本が出たのは2004年の4月で、単行本はでかいし高いし置く場所もなく、文庫になるのを待っていた。にもかかわらず、それが文庫落ちしたのがセオリー通り3年後の今年の3月だということに最近気づき、ちょっと前に本屋で現物を見てコケそうになった。
そういえば広告見てたハズなのに、何してたんだ、この半年…。アホか私。それでよくファンだとかほざけたものだ…。
という訳で(何が?)、ようやく〈火星三部作〉の三部目の『膚の下』を文庫版で買って読んだ。
梶野少佐、梶野少佐、梶野少佐、梶野少佐、梶野少佐、梶野少佐!!(ウザ)
何と言っても梶野少佐が出てくることが嬉しい。その昔、〈火星三部作〉またの名を〈梶野少佐三部作〉だの、『膚の下』は梶野少佐の「あの頃はわたしも若かった」編だの、冗談で言っていたのが、あながち外れてもいないよ(笑)
何でか分らんけど、好きです梶野少佐。これはそうか恋か(広島か)
あ、私は神林作品の主人公は基本どうでも良いので、慧慈軍曹に関しては特に書くことはありません(キッパリ、ってヲイ;)
内容についてもネタバレにならないように書いたら、どこかの粗筋読んだ方が早いことになるので、わざわざ書くこともないやね。(ダメぢゃん;)
ただ、アートルーパーは遺伝子レベルから人工的に生み出された人造人間ということは、かなり美形でもおかしくないということだなと思う。エリファレットモデルの慧慈も慧琳もその他の次世代モデルたちも、ひょっとすると軒並み美形なハズだ。もともと神林作品にはあまり外見描写が出てこなくて、印象に残るのはせいぜい坊主頭だったり、どうやら凄い美女らしいことだけで、あとは全部読者の脳内補完なんだけどな。
だから、まあ、ビジュアル展開されたら、おねーさまのハートをガッチリ掴めそーね! ぜひ企画通してくれどっか。私は梶野少佐が見たい、見たいんだよ。素顔の梶野少佐は『膚の下』が初なんだ、あとは全部バイザの下さ。素で怒ったり見栄張ったりくつじょくに悶えたりうろたえたりする梶野少佐が拝めるなんて、第一部、二部では考えらんねーよ。
そう言えば、今回梶野少佐の下の名前も初披露で、なんか(美人の)お姉さんがいそうな名前。もし四部目が出ることがあれば、きっと月戦争についてで、梶野少佐の父ちゃんとか出てきて、最後に息子を抱いてたりしそうなんだが、これはたぶん妄想し過ぎだな。
いやまて、父ちゃんも日本軍(当時)の将校で階級が少佐だったりして、息子に御覧これがお前の名前のもとになった星だとかなんとか言って、喪われた月のホロを見せたりするんだ、間違いない。(ハイ間違い)
まあそんなことはともかく、読み終えた後に余韻にひたりながら、第一部『あなたの魂に安らぎあれ』と第二部『帝王の殻』の新版文庫を本棚から引っ張り出してきて、梶野少佐の出てくる場面を拾い読みしてしまった。
ただ、私は図書館所蔵の単行本で『帝王の殻』を読んでいたのだけど、どうやら三部目刊行に合わせて新版文庫にするさい加筆訂正が入っていたそうで、微妙に梶野少佐と機械人アミシャダイの会話が書きなおされているとネットの検索で知った。
道理で、「あの頃はそれがわからなかったんだ」的少佐の述懐を探しても見つからんワケだ。「そうか、君たちはそういう発達のしかたをするのか」とか、正確じゃないけど。それにアミシャダイに会ったのは、大尉の頃だと言ってたんじゃなかったっけと疑惑が…。う〜ん、覚えてないなぁ。でも確かに、何かそんな印象が残ってる。
この梶野少佐とアミシャダイの会話は、私が梶野少佐に注目する重要なポイントだっただけに、『膚の下』との整合性は二の次にしてでも、変えないで欲しかったような気もする。どうにも感動が削がれる…。いや、新版でまとめて読む人には、その方が良いのだろうと思うのも確かなんだが。ライブ感を取るか、完成度を取るか、難しいところだ。
ま、とりあえず、文庫の古い版をどっかで見かけたら、手に入れてしまっても良いかな。よし、楽しみが一つ増えたぞ。
次の目標は〈敵は海賊〉シリーズの制覇と、積読にしてある雪風(旧版)他を読もおっと。